毫无疑问,这家伙在整个幕末政治史里表现出来的就是极端的自我本位和不负责任。最后为了自己的权力欲,把幕府自己拆掉了。
作为一个组织的领导人,这样的家伙是最没品下作的......
最近发现的他的晚年墨迹表白了他最后对自己一生的看法......专家们的解读是很明确的
江戸幕府15代将軍の徳川慶喜(1837~1913)が亡くなる前年に記したとみられる漢文の書が、神奈川県小田原市の民家で見つかった。
人生を振り返り、心境をつづっている。歴史家の松浦玲さん(78)は「慶喜が『理にかなった一生だった』と胸中を表している点で、興味深い」(在庆喜表明了“真是循理而行的一生啊”的心境这一点上,很有意思)と話している。
書が見つかったのは、晩年の慶喜を往診していた同市国府津の医師和仁真一さんの孫の敬一さん(61)方の土蔵。
慶喜の「家扶日記」に、明治天皇崩御前日の1912年7月29日、慶喜の使用人が東京?小石川の本宅から和仁さんに書を送ったとの記載があり、茨城県立歴史館の永井博?首席研究員は「慶喜から贈られたと考えて矛盾はない」としている。
松浦さんによると、慶喜はこの頃、実業家の渋沢栄一らから取材を受け、重要な事実について回想していた。松浦さんは「大政奉還や鳥羽?伏見の戦いなど自らの生涯を『信念を貫き、恥じるところがなかった』と振り返った言葉だろう」(是对大政奉还和伏见鸟羽之战等自己的生涯重新声明了自己“贯彻了信念,没有羞愧之处”的话吧)と話している。
慶喜に詳しい大阪経済大の家近良樹教授(59)(日本近代政治史)は、慶喜が明治時代後半、再評価され公爵となった点を指摘し、「晩年にたどり着いた心境をつづり、今後の指針とすべき言葉として贈ったのだろう」とみている。
徳川慶喜が書いたとみられる書(郷土史家の奥津弘高さん提供)
進退周旋必於理合出處行 蔵一以義決 慶喜 (訳)人間が行動する時、進むべきか、退くべきかのけじめは、必ず理にかなっていなければならない。政治の世界にいるべきかどうかの身の振り方は、ひたすら、筋を通して決めるべきだ。(人决断是进是退须符合道理,自处该不该呆在政界时,就应该一门心思地做出决断)
(2009年12月29日03時07分 読売新聞)
(訳)人間が行動する時、進むべきか、退くべきかのけじめは、必ず理にかなっていなければならない。政治の世界にいるべきかどうかの身の振り方は、ひたすら、筋を通して決めるべきだ。(人决断是进是退须符合道理,自处该不该呆在政界时,就应该一门心思地做出决断)
(2009年12月29日03時07分 読売新聞)
(訳)人間が行動する時、進むべきか、退くべきかのけじめは、必ず理にかなっていなければならない。政治の世界にいるべきかどうかの身の振り方は、ひたすら、筋を通して決めるべきだ。(人决断是进是退须符合道理,该不该呆在政界?就应该一门心思地做出自处的决断)
(2009年12月29日03時07分 読売新聞)
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