我在一篇日文文章里看到一段记载,有个叫日比野丈夫的学者分析这位“重直彦九郎”的人是一个在堺从事日明贸易的商人。
原文主要写唐寅,稍长。现引用相关部分如下:
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M41/M415228/5.pdf
(在第28、29页)
「唐寅の生涯と蘇州文壇」より
前略
五月十五日、日本人重直彦九郎の帰国にさいし、忽々の別れに詩を作って贈った。平凡社「書道全集」一七にみえるこの書は美しい。彦九郎はその詩によると二度目の帰国であったらしい。日比野丈夫氏の解説によれば堺あたりの日明貿易に従事する商人と考えられている。重直というのは小さく右上隔に書き添えられたもので諱でろうという。序と詩に
彦九郎日本に還る。詩を作りて之に餞す。座間に筆を走らすれば、甚だ工ならざるなり。
萍踪両度
中華に到り、
剣珮丁年
帝扆に朝し、
星辰午夜
仙槎を払ふ。
驪歌送別す三年の客、
鯨海邁やかに征く万里の家。
此の行徜し重来の便あらば、
琅玕一朶の花を折るを煩はさん。
とあり、二十歳ぐらいの帯剣した颯爽たる若者で、武宗に朝貢した人のように見える。この訪問は突然であり、短時間に作詩が要求されたらしい。書体の整って美しいのに反して詩は失律の嫌があり、珮の字のつくりを「風」と誤記している点があるのは、決して酔いや怠惰のせいではない。文人唐寅の名声は日本人の間にも高く、訪問依頼の客が極めて多かったことを示唆しているのである。
後略
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