长尾景虎关东出阵,在镰仓鹤冈八幡宫继任为关东管领,改名上杉政虎。据说因为成田长泰在仪式上的无礼,政虎用扇子打落其乌帽子,致使其后成田氏内通北条背反。我似乎有印象,成田是因为某事有功,受某人赏赐可以如何如何,而谦信不知内情,反以为其失礼。谁还记得细节?
好吧,找到了日文的原始资料,谁帮忙翻译一下?
1561年春、上杉謙信は鎌倉の鶴岡八幡宮で、上杉憲政から関東管領を譲り受けます。荘厳のうちにその就任式が終わり、謙信が馬に乗り参道を帰る時、居並ぶ諸将は皆拝礼をしていました。するとその中のただ一人だけ、下馬もせず馬上から謙信を見ている武将がいました。謙信は思わずカッとなり、無礼であるとしてその男の顔を扇子で打ち付けました。その男は、忍城城主の成田長泰でした。成田家は藤原家の流れで、源氏の八幡太郎義家に対しても馬上から挨拶をしたという名門でした。この故事を知らない謙信の勇み足であり、成田長泰は多くの武将の前で、顔を打たれたのですから、兵を連れ直ちに自分の居城に帰りました。このことにより他の関東の諸将にも動揺が起き、謙信の関東進出の大きな障害になったと云われています。この出来事は、上杉謙信の激しやすく思慮の無さを語る話として有名で、多くの本に書かれています。
实在懒得敲那几个字了。以上和文中读无责任翻译,如有错误概不负责。